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なぎぶろ

社会人1年目の軌跡をありのままに綴る― 本の感想、おすすめの映画,英語/その他勉強法,おすすめしたい物/事/場所等,雑記スタイルでゆるく熱く更新していきます。2015年度末までは理系大学院生。

親友の親友が死んだ。やり場のない死への恐怖をここに書き留めておきたい。

考えたこと 社会人1年目

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親友の親友が死んだ。

交通事故だったらしい。

バイクに乗っていたときに

大型トラックとぶつかった。

即死だったときいた。

どんな気持ちだったんだろう?

痛みとかあったのかな?

僕の浅はかな想像力ではわからなかった。

 

直接の知り合いではないけれど

親友と話していると話題になることが多かった人。

いつも楽しそうに話す親友の口ぶりから

勝手に親近感を覚えていた。

「そのうち必ず会ってもらうから楽しみにしていて」

親友のこの言葉は、もう叶わない。

僕にとってはまだ赤の他人なわけだから

悲しみを覚える必要はないはずなのに

無性に悲しくなるのはなぜだろう。

20代前半の同世代が死ぬことが

これほどまでに悲しいことなのか。

今日は数ヶ月前に起きた事故から

【死】について思うことを

やり場のないこの思いを

ここに吐き出しておきたい。

さっき、人生で一番辛いことがあった

親友から突然、LINEで連絡があった。

「大失恋でもした?待てよ、失恋はネタにするタイプなはず。そんなことを辛いなんて言わないよなあ...うーん、誰か死んだのかな?まさかね。」

 嫌な予感は的中した。

送られてきたネットニュースのスクリーンショットには「全身を強く打ち死亡が確認された」という交通事故を伝えるニュースによくある文面があった。被害者の名前を見たとき、すぐに親友の親友だと理解し、深夜にもかかわらず飛び起きて電話した。

人って普通に死ぬんだよ

「人って、普通に死ぬんだよ」

電話口の第一声がとてつもなく重たい。

返す言葉が見つからなかった。

自分には体験したことのない世界。

自分の親友が死ぬなんて、本当に考えられない。

訃報を聞いてから少し時間をかけて考えてみたものの

身震いとともに思考が停止した。

どんな想像をしてみてもリアリティが全くない。

 

親友はすでに通夜と葬式に参列してきたとのこと。

電話口では落ち込んでいる様子を見せずに

当時の様子や今の気持ちを語ってくれた。

 

葬式では見たことない数の人たちが参列していて、別れを惜しんでいたこと。多くの大人たちが自分の感情をむき出しにして悲しんでいたこと。あと数分出るのが遅ければ...みたいなやり場のない悔しさに、自身もボロボロ泣いたこと。正直なところまだ死んでしまった実感を持てていないこと。このタイミングで死ぬなんて、自分にとっても何か意味があるような気がしていること。それを毎晩考えるけど、答えなんて出ないこと。

 

すごく冷静な言葉遣いで淡々と話してくれた。

「これが運命ってやつなのかな」

そう言い聞かせて必死に死を受け入れようとしていたように思う。親友の死に対して納得だなんて、どんなに時が経ってもできないだろうから、きっと一生抱えて生きていくしかない。でも、悲しみを癒してくれるのは時間だけなのかもしれないとも思う。

自分の大切な人が亡くなったとき、どうやって受け入れていけばいいんだろう?自分はその死を直視できるほど強い人間じゃないだろうから、対策が必要だ。

 

俺にとっては、俺とお前みたいな関係の奴が死んでしまったってことだからマジで辛い。

こんな言葉をもらって、なんだか余計に複雑な気持ちになった。

事故について調べてみた

不謹慎だと思いながらも事故の詳細を知りたい気持ちに駆られて色々と調べてみたが、これが大きな間違いだった。興味本位で調べるんじゃなかった。

日時、事故現場の様子と事故に至るまでの経緯、被害者の簡単なプロフィール、逮捕された人の名前。親友から聞いていた以上の情報は何一つなかった。

検索結果の中には見覚えのある顔写真と

「自業自得だな」という趣旨のコメントがあった。
なんでこんなコメントするんだろう?

ネットだったら何を言ってもいいのかな。

「自業自得だ」は違う。

どんな状況であれ、事故で人が死んでしまった事実があるのに「自業自得だ」なんてちょっと言い過ぎじゃないか。同じコメントを仮に実名だったとしてもみんなの前で言えるのだろうか。その発言を聞いて(読んで)悲しむ人がいるんだぞ。当事者になってみないと、もしくは、当事者意識が生まれないとわからない気持ちなのかもしれない。そんな、答えのない思考をしていたら、いつの間にか夜が明けていた。

誹謗中傷には目を向けなければOK?

誹謗中傷は見なきゃいいだけ。たしかにそうかもしれない。言わせたいやつには勝手に言わせておけばいい。そういう考えがあることもわかる。

でも、匿名性の影に隠れて何でも言っていい風潮があることはいただけない。僕がまだ小さかったとき、インターネットが発達し始める頃から随分と議論されてきた点だろうけど、自分の中で明確な答えなどずっと出ないままだ。

ただ一つ自分自身に言い聞かせているのは、自分の発言には責任を持っていたいってこと。実名とともに拡散していったとしても、胸を張って主張できることを発信していきたい。匿名性の影に隠れて、言論の自由を盾にして、誰かを傷つける生き方なんてかっこ悪いじゃない。人はいつ死ぬかなんてわからない。当たり前のことを直視した今この瞬間から、未来の自分に向けて言っておきたい。

これが最後の記事になったとしても

悔いることのないように。

自分の発言には責任を持とう。

死ぬって怖い

論点が発散していきそうなので

そろそろ戻しておこうと思う。

死ぬって怖い。

そしてめちゃくちゃ悲しい。

幼稚でありきたりな結論だけど、改めて思うんだ。

死が怖くない人なんているのかな。

自分が死ぬことに対しての恐怖が全くないといったら嘘だけど、それ以上に自分の大切な人が突然死んでしまうことの恐怖の方が圧倒的に大きいってことも、頭では十分理解した。自分が死んだら苦しみなんてないと思ってるからね。死んだ後も苦しいとするなら、誰か教えて欲しい。

備えあれば憂いなし!そうだ!宗教だ!

こうした死への恐怖から

あなたを救ってくれるのが

宗教です☆

ってことだよね?

 

 

うひょー!宗教ってすげぇ!

 

 

なんて思考にはならなかった。

死への恐怖は考え方でどうこうなる問題じゃない。

少なくとも今の僕にとっては、そう。

あまりに非現実的で想像ができないだけなのか。

「備えあれば憂いなし」だなんて信じない。

でも、ヒントはある気がしていて。

「死を恐れるのは現世に未練があるから(生への執着)」

宗教について書かれた本で読んだ気がしているこのフレーズ。死への恐怖を取り除くためには、未練をなくせばいいってことだと思っている。個々人によって未練だと考えることが違うだろうから、ここは熟考しないとね。

自分の場合、未練ってなんだろう。

自分の身の回りの人たちを大切にできているか?

できていないとしたらそれは未練だ。

大好きな人に大好きって伝えないこと。

感謝している人にその気持ちを伝えること。

大切な人には心から大切だと言える人生でありたい。

それを地でいけば

いつか死への恐怖はなくなるかもしれないな、と思う。

ある程度、歳を重ねていかないとそんな時は来ないけど。

 

 

まとめ

同世代の訃報はいつになっても嫌だ。

死ぬって怖い。

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でも、だからこそ、悔いのないように生きたい。

このやり場のない悲しみは消えないし

これから起こるかもしれない

身近な人への死から

可能なことなら逃れたいけれど

それも背負って、頑張って

生きていくしかないのかもしれない。

そんな風に考えさせられた出来事だった。

 

大切な人に大切だって伝えていこう。

 

 

ご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。

 

 

ではまた。

 

 

なぎ