なぎぶろ

誰かの心に届くような記事を書いています。本の感想、おすすめの映画,英語/その他勉強法,おすすめしたい物/事/場所等,雑記スタイルでゆるく熱く更新していきます。2015年度末までは理系大学院生。

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終戦記念日なので中学生の頃の作文『僕と戦争とお弁当箱』を全文公開しておきたい。

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どうも!なぎです。

10年以上前に自分が書いた作文が出てきました。

タイトルは『僕と戦争とお弁当箱』

読みかえすまでは書いたことをすっかり忘れていました。

終戦記念日に見つかるなんて、奇跡だ!

記事にせねば!ということで全文公開してみます。

中学生が書いた拙い文章だと思って

優しい気持ちで読んでいただければ幸いです。

ちょっと長いですけどね。

【全文】僕と戦争とお弁当箱

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 「この真っ黒なのって何?」

数年前、広島の平和記念資料館を訪れた僕が指さしたのは、中身の真っ黒なお弁当箱だった。

「これはね、広島に原爆が落とされたときに、ちょうど君くらいの歳の男の子が持っていたお弁当箱なんだよ。」

「お弁当箱?」と僕は思わず口にした。その箱はお弁当箱とはわからないほど焦げていて、無残なありさまだった。

「この子は、お弁当の中身を食べる前に原爆を落とされ、亡くなってしまったんだよ。」

『食べられなかったのか・・・。』心の中でそう呟いた。この説明を誰から聞いたのか、顔も名前も覚えていない。それでも、はじめて話を聞いたときの、なんとも言えないあの胸の痛みは今も忘れることができない。

 どんな中身が入っていたのかわからないほど真っ黒になってしまったお弁当箱。今日のお弁当はなにかな?と楽しみにしていたはずの男の子。彼は原爆のせいでお弁当を口にすることなく一瞬にして亡くなった。あまりに一瞬の出来事で、自分の身に何が起きたのかわからなかったんじゃないだろうか。何の罪もないごく普通の男の子が命を奪われた。そのことを考えると非常に悲しい気持ちになった。

 戦争の悲惨さを目の当たりにしたのは、このお弁当箱だけではない。ボロボロになった学生たちの衣服、辛うじて形をとどめている小さな三輪車、原爆の被害にあった人たちが描いた絵、時が止まったままの時計。そこに飾られているもの一つ一つに、戦争の悲惨さを訴えかける力があった。その全てに家族や、大切な人を失った悲しみ、戦争の苦しさがあふれていた。平和記念資料館はそういう思いを多くの人に伝えたいという一心で建てられたのだろう。

 しかしその思いも虚しく、原爆投下から六十一年を迎えてもなお、世界では戦争や紛争といった争いが絶えない。そういった報道が伝えられるたびに、なぜ武力を使って争わなければならないのだろうと疑問に思う。戦争をして得られるものに何がある?領土、お金、資源・・・。名誉という人もいるかもしれない。しかし、人を殺して得られる名誉などに、一体どれほどの価値があるというのか。一部の人の利益のために、想像もつかないほど多くの人間の権利や自由、ときには命まで奪われる。そう考えると、失うもののほうがずっと大きいじゃないか。争いを伝える報道を聞くといつもこんな憤りを感じる。

 報道では、自分の子どもを守るために必死に逃げる女性、毎日のように起こるテロや空爆に怯える老人、食べるためなのだろうか、戦闘員になった子どもの姿などが毎日のように伝えられる。戦争の犠牲になるのはいつも最も弱い立場にある、そういった人々だ。それでも彼らは苦しみの中に残された一筋の生きる希望に必死にすがりついて生きている。戦争の指導者はいつも安全なところで、戦争の被害者たちを見て見ぬふりをする。そして目先の利益のためだけに本当に大切なものを犠牲にする。こんなことがどうして許されるのだろう。原爆の被害者や、いま戦争に巻き込まれている人、反戦を訴える人たちの声は彼らのもとに届かないのだろうか。

 学校の授業では、いつ、何が起こったのかなどの具体的で表面的なことしか習わない。けれど僕たちが本当に学ぶべきことは、広島や長崎の被爆者をはじめとする戦争体験者の想いや願いといった内面的なものだと思う。そして少しずつでもそれを他の人たちに伝えることが必要とされているのではないだろうか。

 最初は小さな声でも、多くの人が集まればいま世界で起きている争いを止められるくらいの大きな声になる。唯一の被爆国、日本。その日本に住む僕たちが叫ばなければ、一体誰がこの声を出すのであろうか。『平和主義』ただこの言葉を掲げているだけでは全く意味を成さない。

僕は、あの真っ黒になったお弁当箱を世界中の人たちに見せ、感じてもらいたい。 戦争によって無残な被害者がいるという現実をありのままに受け止め、思いを多くの人たちに伝えること、それが戦争を知らない僕たちの課題であり、平和への第一歩ではないだろうか。

ちょっと青臭さもあるけれど

良いこと言ってる!よね?

年に一度くらい、戦争に思いを馳せる期間(時間)をとりたいなーと改めて思った作文でした。当時は、文章構成を考えて書くなんて高尚なテクニックは持ち合わせていなかったので、文頭から思いのままに書き殴っていたはず。それにしては戦争への嫌悪感、平和への思いが伝わってくるよね?学級委員っぽい作文だなあ。保健委員だったけど。

中学生の僕、意外とやるじゃん。

いや、むしろ今よりよっぽど熱量のある文章な気もする。

うーん、やばいぞ。

読み返してみて思うのは

文章として残すって
やっぱ凄く良いね。

当時の想いがひしひしと伝わってくる。今この瞬間に考えていることなんて、未来の自分はほとんど覚えていない。どれほど感動したことだとしても、形あるものとして残さなければ、どんどん忘れていってしまう。そんな当たり前のことに気づかされました。思ったこと、感じたことはどんどん残していこう。

実体験も発信も大事だ

広島の平和記念資料館に行って自分が『見て感じたこと』だからこそ、熱量を持った文章を書けたんだと思う。実体験がなければ読み手の心を動かすことなんてありえない。将来読み返してみても感じ取れるほどの熱量をもった文章を、これからも書き続けたいですね。

それから、発信することの大事さ。昔の自分も(めちゃくちゃ青臭いけど)感じていたわけです。いろんなところに行って、見て、感じたことをブログに記事として残していきたいな。読み返したときに、心にぐっとくるような素敵な記事として。

最後に

勢いのままに公開してしまいました。

 

ブログはイチから頑張っていこう。

 

 

ではまた。

 

 

なぎ